物流で未来をつくる | 青野海運グループ

物流で
未来を創る

AONO MARINE GROUP

- SINCE 1894 -

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創業から130年。
変わらず紡ぐ
想いとともに
世界をつなぐ物流を。

青野海運グループは、創業以来130年以上にわたり、社会問題の解決を使命に事業を展開してきました。「和合」の精神を基盤に、社員一丸となって持続可能な社会の実現を目指し、常にお客様にとって価値ある存在であり続けます。そして現代、変動する国際情勢や経済環境に適応し、世界規模での物流サービスをとおして、社会課題解決を目指し、未来に向けた革新的な物流ソリューションを提案し続けてまいります。

Our Group

青野海運グループは、1894年に創業者・青野重松が別子銅山で働く人々へ物資を供給することからスタートしました。以来、地域社会との結びつきを大切にしながら、物流業務を中心に成長を続け、現在ではグローバルな規模で事業を展開しています。海上輸送を核に、陸上輸送、エレクトロニクス事業なども手がけ、変化する時代に柔軟に対応しつつ、持続可能な社会に貢献する企業を目指しています。

海上運送

青野海運株式会社は、海上輸送を中心に、安全性と環境への配慮を重視したサービスを提供します。国際的な輸送を支えるための最新技術を採用し、信頼性の高い物流を実現。また、安全管理や環境保護に関する取り組みを強化し、持続可能な社会の実現に貢献しています。

陸上運送

株式会社アトラスは、一般貨物自動車運送業と倉庫業を手がける物流会社です。多岐にわたるジャンルの貨物を様々な輸送手段を駆使して安全かつ迅速に最適な提案をすることを強みとしております。また、四国地域のみならず柔軟な物流サービスを提供し環境負荷低減にも取り組んでおります。

エレクトロニクス設計・製造

株式会社サイバーは、“Maximize Your Value”のスローガンのもと、電子機器・制御盤の設計製造において、既存顧客へのパフォーマンス向上や「まどか」「しずか」のゲルタイム測定装置によるクオリティー最大化など、一貫した高い技術力とお客様との緊密な連携により、お客様の価値を最大化する製品づくりに取り組んでいます。

History

青野海運グループは、1894年に創業者・青野重松が愛媛県新居郡金子村で「青野回漕店」を立ち上げ、別子銅山で働く方々に生活物資を供給することから始まりました。以来、地域社会の発展とともに事業領域を拡大し、5世代にわたり130年以上の歴史を築いてきた私たちの軌跡をご紹介します。

1894

1894年に青野重松が創業。別子銅山への物資供給を始めました。無機化学品の輸送やタンク輸送の先駆者として業界での地位を確立しました。

1922

大正時代にタンク船の開発に注力、住友肥料製造所と協力しながら技術を改良し、硫酸の大量輸送を可能にするまで成長しました。

1937

戦前の激動期、船舶の徴用や輸送統制など多くの困難に直面しました。艀輸送にも挑戦し、戦時下でも事業の拡大に努めました。

1945

戦後、硫酸輸送タンク船5隻で再建をスタートしました。戦時中の困難を乗り越え、業務の再開に尽力。再出発への道を切り開きました。

1955

株式会社化による新たな出発を皮切りに、青野海運は輸送貨物の多様化、小型鋼船の普及、鋼船建造などの革新を進め、組織基盤と輸送能力を大幅に拡充しました。

1964

昭和40年代、貨物船不況にもかかわらず、成長と品質向上を達成。内航業界の変化に対応し、社訓十則を制定して企業姿勢を明確にし、信頼性を高めました。

1973

昭和50年代、第一次オイルショックや別子銅山の閉山といった困難を乗り越え、内航運送業での地位を強化。若手の育成に力を注ぎ、新たな時代に向けて事業基盤をさらに拡大しました。

1984

昭和から平成にかけ、青野海運グループは次世代へのバトンタッチを進めました。青野正社長が新しい時代の改革を推進し、積極的に船腹を拡充、総合物流業者としての進化を目指しました。

1994

バブル崩壊後の不況期に、株価下落、55年体制の終焉、阪神・淡路大震災、金融機関の相次ぐ破綻など厳しい経済環境の中、創業100年を迎えた青野海運は事業の多角化を積極的に推進した。

2004

「失われた30年」の経済低迷期に、リーマン・ショック、東日本大震災が発生。平成から令和への改元、コロナ禍、ウクライナ侵攻、中東紛争など世界的危機が続く中、青野海運は青野正会長・青野力社長体制で外航船隊を充実させ、外航海運へ本格進出した。