History 第十章 展開期(平成後期~令和)外航海運に本格進出

ウクライナ戦争

ロシアのウクライナ侵攻は、青野海運に戦後最大の危機をもたらした。
令和4年(2022)の武力紛争勃発により、ウクライナのオデッサ、ユズニー、チョルノモルスクなどの港湾に出入りしていた貨物船100隻以上が、黒海に封じ込められてしまった。そのなかの1隻が、青野海運が所有する「GLOBAL AGLIA(グローバル アグライア)」であった。

グローバル アグライア

「グローバル アグライア」は、平成28年(2016)1月15日に新来島どっくで竣工したバルクキャリア(外航ばら積貨物船)である。総トン数21,275トン、載貨重量33,158トン、全長180メートル、航海速力14.3ノット。

「アグライア」という船名は、ギリシア神話に由来する。ギリシア神話に登場する三美神(喜び・開花・輝き)の一人で、「輝く女」を意味する。青野海運の船舶は、全て「光」または「輝」の文字が入っているが、この船は、青野力社長が「世界に輝きを届けたい」という願いをこめて「グローバル アグライア」と命名した。竣工式の支綱切断を行ったのは、三女の青野桜であった。

青野海運の外航船として就航した「グローバル アグライア」は、A海運グループのB社と7年間の長期傭船契約を結んで、鉱石や鋼材、穀物などを輸送した。令和4年当時の船齢は6年で、残存価格は約24億円であった。
今回の黒海行きは、ドイツのC社の短期傭船である。ウクライナのユズニーでイルメナイト鉱石(チタン鉄鉱)を積載し、さらにオデッサで鋼材を積み込んだ後、メキシコのアルミラ港へ向かう予定であった。「グローバル アグライア」には、マーズ・アルマリレス船長以下、フィリピン人の船員20名が乗り組んでいた。

グローバル アグライア
グローバル アグライア命名引渡祝賀会

ユズニー入港とロシア軍の侵攻

平成26年(2014)のロシアによるクリミア半島の強制「併合」以来、黒海は不穏な情勢が続いていた。

令和4年(2022)2月16日、青野海運の「グローバル アグライア」がスペインを出港。地中海を航行し、エーゲ海を通って、黒海に向かった。
「本船は、ユズニーに入港した。これより荷役作業の準備にとりかかる」

2月23日、「グローバル アグライア」がユズニーに入港した。この日は、ちょうどロシアのウクライナ侵攻の前日であった。

2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。
「ユズニー周辺に特段の異常は認められない。港湾関係者も、平常どおり業務を遂行しており、本船は荷役作業を継続中」
アルマリレス船長から、無事を知らせる連絡があった。

2月25日、現地は緊迫の度を深めた。
「愛媛の船がやられた!」
日鮮海運グループの8万トン級バルカー「ナムラ・クイーン」が、ユズニーの沖でロシア軍艦艇から船尾部分に攻撃を受けて損傷して、フィリピン人の船員1名が負傷した。
また、モルドバ船籍のケミカル船「ミレニアル・スピリット」がロシア軍艦艇から攻撃されて、乗組員2名が重傷を負った。
ユズニー港の荷役が止まった。こうして青野海運の「グローバル アグライア」は、黒海の奥深く閉じ込められてしまった。
事態の処理に当って、青野力社長が最優先事項としたのは、「グローバル アグライア」の〝乗組員の安全確保〟、次に〝船舶の保全管理〟であった。
〝乗組員の安全確保〟のため、強引に船を脱出させることも検討したが、黒海の至る所に機雷が敷設されており、先導船がないと、触雷の危険性があって航行できない。

2月28日、ユズニー港から1キロメートルの至近距離にミサイルが着弾した。

3月3日、ユズニー港は、朝から緊迫した空気に包まれた。
船に備え付けたVHSのラジオ放送は、1時間おきにロシア軍が迫りつつあることを知らせた。港内では、空襲警報のサイレンが不気味に鳴り響いた。
「オデッサの沖で、エストニアの船が機雷にやられた!」
とうとう心配していたことが現実となった。
「これでは出港は無理だ」
青野力社長は苦悩した。「乗組員の安全を確保するには、どうしたらいいか?」
ユズニーから隣国・モルドバとの国境までは近い。自動車で2時間の距離である。
「乗組員を陸路で脱出させることが出来ないか?」
アルマリレス船長は、伝手を頼ってモルドバのフィリピン領事館に救援を要請した。

3月4日、良い知らせが入った。
「自国民保護の観点から、フィリピン人船員を救出する!」
モルドバのフィリピン領事館の意思決定であった。
「ユズニーまで迎えのバスを出す」
フィリピン領事館から、アルマリレス船長に連絡が入った。
「バスが迎えに来る!」
アルマリレス船長は、直ちに青野力社長にこの旨を報告した。
「それでは、全員荷物をまとめて、船を急ぎ『コールドレイアップ』せよ!」
青野力社長が、アルマリレス船長に指示した。
海運業界では、乗組員を船から降ろして、稼働を全面的に停止する係船のことを「コールドレイアップ」という。

ユズニーを出港

「グローバル アグライア」は、ユズニーに停船したままである。
「近く黒海に『穀物人道回廊』が設けられて、ウクライナの港から穀物を積載した船に限り、出港が許可されることになるだろう」
青野力社長は、いち早くこの情報を入手した。

黒海には、「グローバル アグライア」のほかにも100隻以上の船が閉じ込められていた。「穀物人道回廊」が設けられれば、これらの船が一斉に動き出す。その際に必要になるのは、大量のウクライナ人船員である。「穀物人道回廊」を航行する船には、ウクライナ人による操船が条件づけられており、いずれ100隻の船に乗せるウクライナ人船員の取り合いになることは目に見えていた。
「急いで優秀なウクライナ人船員をかき集めろ!」
青野力社長が指令を発した。「第一段階は、士官だけで良い。コールドレイアップ中の船を再稼働させるんだ」
「グローバル アグライア」に乗り組むウクライナ人の役割は、ユズニーからイスタンブールに至る黒海の航海である。イスタンブールで別の船員たちと交替して、ウクライナに帰国する。
「グローバル アグライア」は、船倉のイルメナイト鉱石を荷下ろして、改めてサンフラワーシーズ(ヒマワリの種)を積み込んだ。船は、全ての出港準備を完了した。

10月17日、「グローバル アグライア」は、汽笛を響かせてユズニーを出港した。
ウクライナ海軍が手配したダグボートが先導して、機雷を敷設してない海域を慎重に進んだ。
「このまま無事に黒海を抜け出てくれ……」
日本で指揮を執る青野力社長は、祈るような思いであった。
しかし、事態は思わぬ方向へ展開した。
「ロシアが、一方的に『穀物人道回廊』の停止を発表した!」
「船はどうなる?」
「ボスボラス海峡の近くで、船待ちしなければならない」

10月29日、ロシアが、一方的にウクライナ産穀物輸出合意の履行停止――「穀物人道回廊」の停止を発表した。理由は、「クリミア半島のロシアの軍港セヴァストポリにドローン攻撃が行われたためだ」という。
「グローバル アグライア」は、船待ちを余儀なくされた。

11月2日、「穀物人道回廊」の停止が解除された。
「グローバル アグライア」は、トルコのイスタンブールに入港して、ウクライナ・ロシ
ア・トルコ・国連で構成する「共同調整センター(JCC)」の担当官による検査を受けた。積み荷がウクライナ産の穀物であるか? 武器弾薬その他を隠していないか? その検査である。
検査をパスした船上では、ウクライナ人船員がフィリピン人船員と交替した。
大任を全うしたウクライナ人船員たちは、イスタンブールから民間航空機で、戦火の祖国へ還っていった。

11月4日、「グローバル アグライア」は、イスタンブールを離れて、フィリピン人の操船で三美神の故郷であるエーゲ海に向かった。
こうして、船は戦地を脱した。

事態の処理に当って、青野力社長が最優先事項としたのは、「グローバル アグライア」の〝乗組員の安全確保〟、次いで、〝船舶の保全管理〟であった。船主として、この二つを全うした青野力社長は、「信念の男」であり、「ピンチで折れないリーダー」であり、「強運の経営者」であった。

ウクライナ事案への対処について、青野海運の役職員は、次のように回顧している。
「令和4年(2022)2月24日の夕方、船舶管理会社のマネージャーより『本船が積荷役を行なっているユズニー(ウクライナ)にて戦争が始まった』との一報を受けた際、最初は『何の冗談を言っているのか』程度にしか思わなかったが、徐々に状況が判明してくるにつれ事の重大さに気付いたことを、今でも鮮明に覚えています。そこからは、連日連夜に及ぶ青野力社長との対応等の話し合いを経て、乗組員の退避、デッドシップ状態における保船管理、貨物の積替えなど、今まで経験したこともない対応に追われました。そして数々の困難を乗り越え、令和4年(2022)10月17日に本船、乗組員ともに無事ユズニーを出港できたことは、忘れることが出来ない思い出です」
(青野海運営業本部外航営業部部長 丸山智豪「GLOBAL AGLIA号のユズニー(ウクライナ)拘留」)

「会社組織のミッションを達成するためには、リーダーが〝折れない〟ことが重要であると考える。厳しい状況に対処するリーダーの強さは、〝長期戦を戦い抜く強さ〟にあり、『GLOBAL AGLIA』のウクライナ事案への対処がまさしくそれに当る。ウクライナ入港から脱出まで『船員の安全確保』『船体の保全』『脱出』『傭船者との交渉』『資金確保』各々への対応のストレスフルな状況の下、青野力社長は、常に冷静な対応で終始した。孤独で眠れない日々であったであろう。まさに危機脱出のため、合理的に状況を分析し、それに応じた臨機応変な対応であった。ピンチ=『シビレル』と明るく言っていたのが特に印象に残る」
(青野海運経営管理本部長 森徳貴「ピンチで折れないリーダー」)

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