リーマン・ショック
平成20年(2008)は、1月に原油先物相場が急騰してニユーヨークで1バレル100ドルを記録し、東京証券株式所の日経平均株価が535円35銭値下げするなど、波乱含みの幕開けであった。
9月、世界的な金融危機が襲い、わが国もその混乱の渦に巻き込まれた。
アメリカのサブプライム住宅ローン問題に端を発する金融市場の混乱は、いわゆる「リーマン・ショック」を契機に金融資本市場全体の危機に発展し、米欧の金融システムを機能不全に陥れた。さらに、この金融危機は日本に襲いかかった。
海運業界では、「リーマン・ショック」の影響により、それまで右肩上がりで推移してきた世界の海上荷動き量が減少する。荷動き量の減少に伴って、たちまち傭船料が大暴落した。最も顕著だったのは、ケープサイズ貨物船で、「リーマン・ショック」前の平成20年(2008)6月には1日当り23万ドルと高騰していたスポット傭船料が、「リーマン・ショック」後の12月にはなんと2千ドルにまで暴落した。傭船料が半年間で、一気に100分の1となる異常事態である。アメリカの住宅ローン問題に端を発した「リーマン・ショック」は、世界各国の海運会社を否応なく巨大な暴風域に巻きこんだ。
このように世界経済が大混乱するなか、青野正社長は、青野海運グループを引き締めた。
「グループ全体にとって大変なアゲインストの風が吹いていますので、全員が一致協力してこの難局を切り抜けなければなりません。まずは社員各自が現況をしっかりと受け止め、自分の役割が何かをしっかりと確認してください」
経営の合理化・効率化
経営の合理化・効率化の要諦は、3Ⅿ(ムダ・ムリ・ムラ)を徹底的に削減して、業務の改善を図り、経営体質を強化することである。とりわけ、付加価値を生み出さない作業や資源の「ムダ」を削減することは、喫緊の課題となる。世界恐慌を乗り切るため、青野海運グループでは、3Ⅿを徹底的に削減して、業務の改善を図った。
遊休不動産を整理するため、手始めに東京都文京区の社有マンション一戸を売却した。さらに、大阪市西九条の社有地を売却するとともに、営業拠点の集約化を図るため、大阪営業所を閉鎖した。また、海上荷動き量の減少に対応して、所有する船舶のうち1隻の運航を停止し、ホットレイアップして停泊地に留めた。ホットレイアップとは、最小限の乗組員を船上に待機させて、船舶の保守を行いながら係船することである。
組織の再構築を図るため、青野海運が、経営の不安定な傘下企業を買い取って、業務を集約した。船舶代理店部と管理部を発足させて、船舶の運航と保有を分離した。
ITを積極的に活用して業務の効率化を図るとともに、セキュリティー確保やリスク回避を重視して、グループVPNの利用による新たなネットワークを構築した。
また、役員の減俸を断行して経費削減の範を示すとともに、社員の成長と業績の向上が期待できる新人事制度を導入した。いよぎん地域経済研究センター(IRC)の業務支援を受けて、評価制度や給与制度を見直し、「頑張った人に報いる」組織づくりに努めた。
さらに、幹部候補生を確保するため、リクナビを活用して、大学新卒男子を採用した。
こうして「リーマン・ショック」による世界恐慌のなか、青野海運グループは、徹底した経営の合理化・効率化に努めて、コストの削減や社員のモチベーションの向上を図りつつ、業務拡大や新規ビジネスの開拓に取り組むべき時節の到来に備えた。
経営者が人材確保に尽力する姿を、青野海運の役職員は、次のように回想している。
「青野力社長が当時常務だった頃、経営基盤安定を目指し様々な制度や体制の改革をしていたなかで、新卒採用にも力を入れており、採用担当者として私も一緒に合同説明会や個別の説明会へ何度も足を運びました。青野力常務自ら説明会の資料を作成し、学生の皆さんの前に立ち、海運業界や青野海運の企業説明をされていました。1日に何度も行われる説明でも熱量が変わることなく、多くの学生に青野海運を認知してもらい、また多くの方々からご応募をいただき採用に繋げることができました」
(青野海運経営管理本部総務・企画部課長 原田奈美子「青野海運130年史に寄せて」)
グリーン経営認証
平成20年(2008)、青野海運は、「グリーン経営認証」を取得した。
グリーン経営認証制度とは、交通エコロジー・モビリティ財団(略称 エコモ財団)が、グリーン経営推進マニュアルに基づき環境に優しい経営をしている企業に認証を与えるものである。認証を取得したことにより、青野海運は、燃費の向上や事故の減少等を通じて、環境保全を積極的に推進する企業であるとの〝お墨付き〟を得たといえよう。
