History 第九章 拡張期(平成中期)創業100年を迎えて

創業100周年記念事業の展開

平成6年(1994)は、青野海運株式会社にとって大きな節目の年であった。
青野重松が、明治27年(1894)に新居浜で青野回漕店を創業して、100周年を迎えたのである。

青野正社長は、創業100年の意義を次のように語った。
「本年はわが社にとりまして、満百歳を迎える意義深い年であります。一口に100年と申しましても、山あり谷ありの歴史を辿り、私の知る範囲などその4分の1にしか過ぎません。先人たちの切り拓いた道の長さを実感すると同時に、その基盤の上にある現在の私たちを思うにつけ、感謝と尊敬の気持ちでいっぱいであります。

私も今年は年男、一つの節目であろうと考えております。昭和59年(1984)に父から「会社を任す」といわれ、戸惑いながらも社員の皆様に助けられ、また平成景気という「運」にも助けられ、なんとか今日まで、「青野丸」という1隻の船の舵取りをやってこられたことを、皆様に感謝すると同時に、各荷主の方々のご指導ご愛顧にお礼を申し上げる次第でございます。

しかしながら、昨年からわが国の経済不況は、政治の混乱による不安と重なり、過去に経験のない状況となっており、識者の見解も、本年が最も悪いといわれております。当然に私も今回のような先の見えない不況ははじめてであり、皆様と同様不安がないといえば嘘になります。しかし、過去に先人たちがそうしたように、私が先頭に立ち、身を正し、社員の皆様が各々の役割を自覚し、行動していただければ、必ずこの大波を乗り切ってみせます。どうか皆様のご協力をお願い申し上げます。

『伏すこと久しきは、飛ぶこと必ず高し』 この言葉は、長い間蹲って力を蓄えていた鳥は、一旦飛び立てば、必ず高く舞い上がることができるということであります。人生に逆境はつきものであります。問題は、その時期をどう過ごすかであります。一番まずいのは、焦ってバタバタ動き回ることで、かえってエネルギーを消耗し、なんにもなりません。ピンチこそチャンスだと考え、逆境のときこそ、自分を鍛え直すときと心得て、あせらず、じっくりと力を蓄え、来るべきときに、全員で大きく、高く、飛翔したいと思っております」

青野海運は、青野正社長の陣頭指揮のもと、CIの実施、記念誌『百年のあゆみ』の刊行、社旗の製作、式典及び祝賀会、社員保養所の整備、記念パーティー、記念コンサート、
地蔵堂の建て替えなど、多彩な100周年記念事業を展開した。

CIの実施

青野正社長は、創業100年を機に社員の心を一つにして、新たな歴史を刻むため、CI(コーポレートアイデンティティ)に取り組んだ。青野海運のファンネルマークである丸十と、海運業を象徴するプロペラをイメージした新ロゴマークを作成した。ロゴマークは、青野海運のイメージカラーであるマリンブルーを基調にして、真ん中の横円の色をグループ各社で違えた。
「新たな社旗のもとに集え!」
新ロゴマークを社旗に起こし、青野正社長が率いる「燃える集団」の青野海運グループは、心を一つにして新しい時代を歩むことになった。

青野海運100周年記念式典及び祝賀会

5月18日には、リーガロイヤルホテルにおいて、荷主様や日頃お世話になっている皆様方をお招きして、青野海運100周年記念式典及び祝賀会を開催した。

住友金属鉱山株式会社の淵本修史取締役・別子事業所長が、次の祝辞を寄せた。
「この度、青野海運株式会社が隆盛のうちに創業100周年を迎えられましたことを、心からお慶び申し上げます。
貴社は、明治27年(1894)に青野回漕店を設立し、別子銅山の鉱石等の輸送業務を担当されて以来、時代、時代の激動の波をよく乗り切り、数多の苦難をみごと克服し、着々と事業を拡張して今日の繁栄を築き上げてこられました。これは、創業以来、歴代社長をはじめ社業に携わってこられた各位の営々たるご尽力の賜物であり、深く敬意を表するものであります。

まさにこの1世紀の間、当社は貴社に物流業務をはじめ事業各般にわたり、多大のご協力をいただきました。別子銅山関係の輸送、明治後期からの四阪島精錬所の原料鉱石、操業用資材ならびに生産品たる粗銅、硫酸の輸送、昭和10年(1935)代の新居浜港防波堤工事、電錬工場の石炭沿岸荷役、昭和40年(1965)代半ばからの東予工場産出硫酸の輸送等々、当社主要事業の推進に顕著な貢献をされました。この間、両社は相互信頼に基づき、極めて緊密な関係を堅持し、長く重みのある歴史をつくって現在に至っておりますことは、誠に喜びに堪えません。

今日、国際化の進展に伴い、事業環境は一段と厳しさを加え、再び〝変革の時代〟に直面しております。このような時期に、貴社が創業100周年を記念して、事業の原点にまで立ち返り、1世紀にわたる先人の労苦をしのび、新しい世紀へ向け一段の躍進に思いを致されることは、誠に意義深いことであります。

当社も先年、別子開坑300年を迎え、平成3年(1991)を「新たなる創業元年」と位置づけて、21世紀に向け経営基盤の拡充強化に取り組んでおります。今後も両社相携えて、新たなる歴史を力強く積み重ねていきたいと念願しております。

貴社の益々のご発展と関係各位の益々のご健勝を記念して、お祝いの言葉といたします」

社員保養所「清風荘」の落成

7月14日には、大三島に建設していた社員保養所「清風荘」が落成した。
青野正社長は、社員のための施設整備に当たり、大山祇神社が鎮座する神の島・大三島を選択した。「清風荘」は、瀬戸内海に面して建てられ、左手には伯方島、前方には大島の美しい景観が望まれる。

「赤銅の里コンサート」の開催など

7月16日には、ユアーズコープに社員とOBを集めて記念パーティーを開催した。パーティーは青野正社長の挨拶で幕を開け、社員表彰、懇談と続き、ビンゴゲームや琴の演奏などの余興も交えて、出席した200名は創業100周年の喜びを分かち合った。
9月10日には、新居浜市民文化センターに大阪フィルハーモニー交響楽団を招聘して、「赤銅の里コンサート」を開催した。
一夜、新居浜市民は、大阪フィルハーモニー交響楽団の素晴らしい演奏に酔いしれた。

地蔵堂の建て替え

翌7年(1995)1月17日、青野海運は、地蔵堂の建て替えで100周年記念事業を締めくくった。
この地蔵尊は、旧青野本家の東西の水門に一体ずつ祀られていたが、王子川改修工事により旧青野海運本社近くに移転・安置されたものである。爾来、二体の地蔵尊は会社の発展を見守ってくれたが、永年の風雪で堂宇が老朽化したことから、100周年のお礼の意味を込めて、新しく建て替えることとした。
この日、青野正社長は、地蔵尊のお世話をしている近所の方々をお招きして、落慶法要を営んだ。

一覧へ