History 第九章 拡張期(平成中期)創業100年を迎えて

後継者・青野力の入社と青野正社長の地域貢献

平成13年(2001)3月、青野正社長の長男・青野力が青野海運に入社した。
青野力は、入社と同時に飯野海運株式会社に出向を命じられた。飯野海運では、3年間、船舶管理の仕事を担当して、海運の知識を幅広く吸収した。青野力は、出向の総仕上げとして、自ら志願して大型LPGタンカーに乗船し、ペルシャ湾を目的地とする3ヶ月に及ぶ航海を体験した。

青野海運は、新居浜経済界のリード・シップ(先導船)の役割を担い、歴代社長はパイロット(水先案内人)の役目を担ってきた。

新居浜商工会議所会頭

青野正社長は、平成11年(1999)から22年(2010)までの11年間、新居浜商工会議所会頭の重責を担った。
祖父・青野市太郎、父・青野重馬とともに、青野家三代にわたる会頭職である。折悪しく、就任期間中の経済状況は長期の沈滞期で、会員3,200社を牽引してゆくのは並大抵のことではなかったが、地場産業の振興はもとより、イオンモール新居浜の誘致や、ものづくり人材の育成、さらには「とっておきの新居浜検定」の創設など、新居浜の活性化に大きな貢献を果たした。

海運業界の要職

さらに、昭和59年(1984)に海上保安協会新居浜支部幹事、60年(1985)に全国内航タンカー海運組合常任理事、四国地方海運組合連合会理事及び愛媛地区海運組合理事、平成13年(2001)に新居浜海事振興会会長、15年(2003)に新居浜地区海運組合副理事長など、海運業界の要職を兼任した。

新居浜ユネスコ協会会長など

青野正社長の地域貢献として、特筆すべき役職が二つある。

一つは、社団法人新居浜カントリー倶楽部の理事長である。
青野正社長は、平成12年(2000)に理事長に就任して、愛媛県下で2番目に古い、歴史と伝統のある倶楽部を、経済の長期停滞期に支えた。

もう一つは、新居浜ユネスコ協会を設立して、会長に就任したことである。
平成16年(2004)、新居浜ユネスコ協会を設立して、初代会長に就任した青野正は、ユネスコ憲章に謳われた「人種、性、言語又は宗教の差別なく確認している正義、法の支配、人権及び基本的自由に対する普遍的な尊重を助長するために教育、科学及び文化を通じて諸国民の間の協力を促進することによって、平和及び安全に貢献する」という崇高な理念の普及啓発に尽力した。

平成19年(2007)からは、市民に落語を楽しんでもらいながら、平和の和を広げようという取り組みとして、新居浜ユネスコ寄席を毎年開催している。新居浜ユネスコ寄席では、入場料の一部を熊本地震の義援金として寄付するとともに、カンボジアの寺子屋運動を支援するための募金活動などを行った。20年(2008)には、新居浜ユネスコ協会に高校生をメンバーとする青年部を発足させた。さらに、27年(2015)には、新居浜市教育委員会に強力に働きかけて、平和な未来社会を構築するための人材育成の拠点校として、四国で初めて市内(別子小中学校を除く)26校がユネスコスクールに認定されるなど、国連の専門機関と新居浜の教育、科学及び文化の交流に多大な貢献をなした。

さらに青野正社長は、ユネスコ協会の活動に関連して、新居浜市ESD(持続可能な開発のための教育)推進事業の支援に努めた。ESDは、SDGsの17の目標を実現するため、環境、エネルギー、気候変動、海洋、ジェンダー、人権、国際理解、文化多様性など、人類が将来の世代にわたり豊かな生活を確保できる「持続可能な社会」の創り手を育む教育のことで、文部科学省の学習指導要領に位置付けられ、ユネスコ総会において国際枠組みが設けられている。SDGsの理念を先取りした伊庭貞剛の大規模な植林以来、新居浜市には「持続可能な開発」の考え方が浸透して、内閣府から「SDGs未来都市」に選定されている。ESD推進事業は、多くの個人や法人によって支えられているが、わけても青野正社長は、新居浜市教育委員会が主催する小中学生のESD学習発表会を、コンソーシアム(協賛企業:青野海運・東予信用金庫の2社)代表として、積極的に支援した。現在、コンソーシアム代表は、青野力社長に引き継がれて、持続可能な開発のための教育に尽力している。

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