所属船舶が最大数となる
青野海運の創業100年から110年にかけて――平成6年(1994)から16年(2004)までは、ちょうど「失われた20年」の真ん中で、バブル崩壊を契機としてわが国が長期構造不況に陥っていた時期である。長引く不況を反映して、内航海運の貨物は増量が見込めず、コストダウンを模索する状況にあった。
こうしたなか、青野海運では、リプレースによって船舶の大型化を図り、運航の効率化に努めるとともに、新規の荷主開拓により船舶の新造を進めた。その結果、景気の悪化とは裏腹に、平成8年(1996)には、運航船舶数が創業以来最多となる33隻を数えるに至った。
しかしピークを迎えたこの年は、船腹数のだぶつき感があり、それ以降は売船や解撤によってスリム化を図ることになる。平成6年(1994)から16年(2004)の間、新造した船は7隻、購入した船は4隻、傭船した船は2隻であった。
平成6年(1994)1月 硫酸船「(二代目)第一金光丸」(139G/T)主機換装による馬力向上
平成6年(1994)1月 硫酸船「第十八神栄丸」(332G/T)竣工 「第六十二金光丸」のリプレース
平成8年(1996)8月 高温液体船「扇栄丸」(749G/T)竣工 アスファルト運搬船
平成8年(1996)9月 ケミカル船「第七住昌丸」(293.9G/T「第八大和丸」に船名変更)大和海運が購入し、傭船
平成8年(1996)10月 ケミカル油送船「しょうりん丸」(355G/T「新光丸」に船名変更)購入 メインは、水族館の水槽の原料等となる三菱レーヨンのMMAを広島県大竹市から神戸・名古屋へ輸送
平成8年(1996)11月 ケミカル油送船「第五十三光輝丸」(415G/T)住友化学の要請により竣工 三井化学の鹿島事業所へ濃硫酸と濃硝酸を原料とする混酸を輸送
平成9年(1997)4月 外航LPG船「LILIUM GAS」(2,362G/T)竣工
平成10年(1998)6月 高温液体船「扇雄丸」(749G/T)竣工 アスファルト運搬船
平成10年(1998)8月 硝酸船「第一光輝丸」(197G/T)タンク換装 濃硝酸用アルミニウムタンクから苛性ソーダ用のステンレス304へ換装し転用した
平成10年(1998)10月 硫酸船「ニュー昇辰」(184G/T)船主山一海運から裸傭船
平成11年(1999)6月 ケミカル船「天臨丸」(499G/T「第十ニッケル丸」に船名変更)購入
平成11年(1999)10月 高圧液化ガス船「第七十八光輝丸」(1,159G/T)竣工 液体アンモニアを運送していた「第七十五金光丸」(993.41G/T)のリプレース
平成13年(2001)5月 ケミカル船「徳栄丸」(199G/T)買船 船主徳重海運廃業による
平成13年(2001)11月 二硫化炭素船「第一神徳丸」(198G/T)タンク換装 荷主が日本硫炭工業から住友金属鉱山に変わり、積荷が二硫化炭素から硫酸へ変更
平成14年(2002)9月 多目的船「第五十一光輝丸」(749G/T)1,500MT竣工 住友化学の要請により「第五十三光輝丸」(415G/T)の大型船として新居浜から鹿島へ混酸を、新居浜から大牟田へ希硝酸を輸送する
平成14年(2002)11月 ケミカル船「第八東明丸」(499G/T「第三十六光輝丸」に船名変更)購入 オペレータを田渕海運が行い、船主と運航を青野海運が行い、日本沿海を運航
平成15年(2003)5月 ケミカル船「第二十一神栄丸」(199G/T)タンクゴムライニング改造 新居浜から千葉県の市川へポリ塩化アルミニウム水溶液を、傭船して輸送していたが、元請として責任輸送を果たすため、自社船「第二十一神栄丸」を改造することで対応した
平成15年(2003)9月 硫酸船「(二代目)第一金光丸」(139G/T)解撤